5階は白山平泉寺の歴史を、画家の金栄健介さん(植物細密画の第一人者、山岳画家)の手による数々の美しい絵画で学ぶことができます。
白山平泉寺は奈良時代ころから、越前から白山へ修行のために登る「禅定道」の入口としてできたと言われています。人々に白山信仰が広まるにつれて平泉寺も勢力を伸ばし、広大な境内を持つようになりました。室町時代ころの全盛期には、平泉寺を中心に8,000人から10,000人ほどの人が住む大きな町となっていたと言われています。しかし平泉寺は戦国時代の天正2年(1574)一向一揆との戦いに敗れ、全山が焼失してしまいました。しばらくして復興されたものの、往時の勢力を取り戻すことはなく現在に至っています。
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